親指シフトという単語、覚えていますか?
懐かしいですよね。
富士通がオアシスシリーズのワープロを販売していたころ、その日本語のキーの配列を「親指シフト」と呼んでいました。
今は、ワープロ自体が骨董品になってしまいましたが、親指シフト入力は、今も受け継がれているんです。
親指シフトとの出会い
私が大学生の頃、富士通から、オアシスというワープロが一般販売されました。その普及の一環だったのでしょう。大阪の日航ホテルで1泊2日でワープロ付きの講習会がありました。
私は、家族代表という立場で、父親に後日教える条件で、参加費用を出してもらいました。
当時のワープロは、画面が1行だけ。タイプライターが電動になった、感じです。
ワープロというものに初めて接した私にしてみれば、最先端のガジェットには違いなかったのです。表計算のソフトが付いてましたので、日本語の文章を書くのと同時に表計算でいろんな計算式を入れて自動計算の表を作っていましたね。
その辺は、結構いけてる学生だったのではないでしょうか。
親指シフト入力についても、ワープロに初めて接しての出会いだったので、そんなものかと、特に抵抗はありませんでした。
後日、他メーカーのキー配列を見ると、ちょっと違うな、位に思っていました。
親指シフトとの別れ
1行液晶が2行になり、今のPCと同じような液晶画面へと、ワープロは進化していきました。
私は、結構ハードユーザーでした。家庭教師をしていましたので、教材をガシガシと入力しては、自前の問題集を作製したものでした。
平成になり、バブルの全盛期、富士通は縦型画面のプロ用ワープロを開発しました。
当時、司法書士事務所で、登記関係の書類を作る仕事をしておりました。勤務する司法書士事務所にも、当然、富士通の縦型ワープロがあり、親指シフトをマスターしていた私には、何の抵抗もなく、業務をこなせました。
バブルがはじけて、私は、解雇されました。
司法書士事務所は、土地建物に付ける抵当権の設定という登記がバブルではじけてしまったのです。事務所の売上が急激に減少しました。
景気に振り回される業種でした。
今度、選ぶ業種は景気に左右されないのがいい、と思った私は、会計事務所に目をつけました。
この業界に潜り込むには、簿記の資格が必要で、急いで日商簿記検定3級を取得しました。
そして、大阪は豊中の会計事務所に採用されました。
そこには、東芝のダイナブックシリーズの初号機のような馬鹿でかいノートパソコンがありました。富士通のワープロはそこにはなく、あるのは、ローマ字入力のパソコンばかりでした。
親指シフト入力から、ローマ字入力へは、たやすく移行できました。できないと、仕事になりませんものね。当時は、WINDOWS3.1が搭載されていました。
ワープロソフトのワードや表計算のエクセルはまだ誕生していません。ジャストシステムの一太郎というワープロソフトとロータス1-2-3という表計算ソフトがダイナブックに入っていました。
当然、それを使いこなせなければ仕事になりません。
という事情で、親指シフトとは、お別れです。
少し経って、ワープロは、ワード等のソフトが開発され、また、個人用パソコンとして、PCが流通し出しました。
そのPCの普及とともに、ワープロ専用機の開発は終わりました。
親指シフトとの再開
富士通のオアシスが絶版となってから、数十年の歳月が流れました。私の頭の中には、親指シフトという単語だけが残っていました。
ブログのコンサルを受けていたものくろキャンプのセミナーで、親指シフトが今もなお健在であることを知り、大変懐かしく思いました。が、まさか、再び入力練習をすることになるとは、想像もしていませんでした。
親指シフトは入力が楽
ローマ字入力では、子音字と母音字の組み合わせで、日本語のかなを表示させ、それを変換することにより、文章を作成していきます。
アルファベット26文字のうち、QとX(Lは小さい文字を打つときに使う場合あり)はかなには不要なので、24個のキー配列を覚えると打てます。しかし、母音字以外は、2回キーを打たないと、かなが出ません。
一方、親指シフトキーは1回キーを打てば、かなが表示されます。
ということは、早打ちにもってこい、の入力方法でしょう。
マスターできたらの話。
私は、昨日より、入力練習を始めました。
バブルのころのように、早く打てるようになるには、時間がかかるかもしれません。
けれども、早く打てるようになれば、本日の記事のように、長文でも、手が痛くならないで打てるようになるのだと期待は大きいです。