Pinoy ako.
Pinoy ako.
タガログ語(フィリピンの言葉)で、「私はフィリピン人(男)です。」という意味。
私の国籍は、日本。生まれは大阪府堺市。母も同じ。父は佐賀県唐津市の生まれ。
ま、九州人と関西人とのハーフではあるけれども、ヤマト民族だと思う。
そんな日本人の私が、ひょんなことから、フィリピンの永住権のひとつである、「クォータビザ」というものを取得してしまった。
日本経済の行く末を憂う
平成22年2月に、認証保育所をオープンして、生活が落ち着きを見せたころ、私は、日本の経済の行く末を憂うようになった。
大袈裟に書いてしまったが、要するに、「将来の私の財産をどうするのか?」について考えるようになったのである。
と言っても、保育所の経営を始めたからといって、すぐにお金持ちになる訳ではない。
実際、資金繰りのために、少額の金銭をこっちの銀行から、あっちの銀行へハンドキャリー(現金を手荷物として運ぶこと)で日々走り回っているのが仕事だったりする。
元々、経理の仕事が長かったので、お金の情報には興味があり、お金や経済動向に関するニュースやメールマガジンを興味深く購読していた。
将来の見方については、楽観論もあれば悲観論もある。
いったい全体、誰の考えを中心に私の考え・方針を決めるべきなのか、さっぱりわからない。ただ、資産防衛(自分の財産を守ること)については、悲観的に見積もっていいくらいであるとの考えに至った。
守るべき資産もないのに、知識だけ、どんどんふくらんでいったのである。
フィリピンの永住権取得の理由
資産防衛の次は、自分の身体の置き場について考えるようになった。
当時、「日本が崩壊する」だの、「日本円が預金封鎖で大きく目減りする」だのと騒いでいたころの話。
日本に住めないなら、外国に住めばよい。しかし、永住ビザがないと、いつまでたっても、「お客様」であり、もし、日本人の多くがその国へ住もうとすると、必ず優先順位の問題が出てくる。そうなれば、永住ビザがあれば有利である。
という、短絡的な考えに感化され、フィリピンの永住ビザを取得することになったのである。
おもしろいでしょう?
普通、調べても、実際にやっちゃう人なんていないよね。
クォータビザを取得した者の義務
ビザを取得するのは、一筋縄では行かなかった。
その話は、別に記すとして、ビザを取得したから「OK」というものではない。
365日に1度の参勤交代があるのだ。
「アニュアルレポート」といって、年に1度、移民局へ届け出る手続きが必要なのだ。
もちろん、本人が出頭する。
一人では、できないので、現地のサポートを使う。
短くて10分、でも、渡航は現地に5日くらいの滞在が必要。
この「参勤交代」を365日に1度、行い続けないと、ビザが失効する。
例えば、2018年2月5日に出頭したとする。
次の出頭は、2019年2月4日が期限になる。
1日でも遅れたら、ビザは失効。
そのために、私は出頭以外に、観光等で渡航している。